海外の動物画家の紹介ですが、このテオドール・ジェリコーは「馬・馬・馬」です。
馬が好きすぎて、馬の事故が原因で若くして亡くなってしまうんです。
とにかく、彼が描いた馬を見てほしいと思います。
さあ、ご覧ください。
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テオドール・ジェリコー 1791-1824
テオドール・ジェリコーは、19世紀前半に活動したフランスの画家で、フランス海軍のメデューズ号
の事故を題材とした『メデューズ号の筏』が代表作です。
ジェリコーはドラクロワなどにも影響を与え、ロマン主義の先駆的存在となりました。
動物画家の紹介ということで、ジェリコーを見ていただきたいと思います。
作品にはヤギやヒョウなどもありますが、
子供の頃から馬を愛し、32歳で亡くなるまで馬の絵を描き続けていました。
やはりジェリコーと言えば馬をおいてほかにないでしょう
ジェリコーの代表作
馬の絵を紹介
馬を愛し、いつも馬のデッサンをしていたジェリコーは、骨格から筋肉の付き方、細かい動き方まで熟知していたようです。
馬を愛し、いつも馬のデッサンをしていたジェリコーは、骨格から筋肉の付き方、細かい動き方まで熟知していたようです。
灰色の馬の背景は濃い茶色~黒をしています。
馬に当たるライトが効果的に白っぽい馬の姿を浮き上がらせていますね。
この馬の骨格と筋肉、素晴らしいでしょう。
『突撃する近衛猟騎兵士官』は今まさに戦闘の最中に飛び込もうと、部下を鼓舞するために振り返った士官が馬の手綱を引いたために、馬が前足を高く上げヒヒーンと嘶いている様子を描いていますね。
前方には戦火が見え戦場の臨場感が現れています。
この作品は1812年、ジェリコー21歳の時、サロンに出品し金賞を得ました。
この若さで、流石!
この『戦場から去る負傷した胸甲騎士官』は戦闘で負傷し、無念にも戦場から去らなければならず、まだ戦闘の続く後方を見つめています。・・・あーくやしい~
馬はまだ興奮状態のようで、足をバタつかせなかなか言うことを聞いてくれないのでしょうか。
この作品は2014年にサロンに出品しています。
ジェリコーと言えばこの作品でしょ
チョット馬の絵から離れますが、この作品を紹介しないわけにはいきません。
テオドール・ジェリコーを最も有名にした作品であり、当時のフランス政府を巻き込んで大騒動にした絵画です。
この『メデュース号の筏』は1819年のサロンへ『遭難の情景』という題名で出品しました。
この作品には1816年にフランス海軍所属フリゲート艦メデューズ号が起こした座礁事故による悲惨な事件がありました。
アフリカ西海岸のモロッコ沖で起こった座礁事故で救命ボートが足りず、その場で拵えた筏で150名の人々が漂流状態となりました。
救出されたのはなんと、その1/10のたったの15名ほどでした。
筏は13日間漂流し続け、それまでの間に、飢餓や殺戮、人食喰いなどがあったそうです。
その凄惨な状況を描いた作品になります。
この絵には力尽きて亡くなった人や右上には遠方に船を見つけ残り少ない力を絞って赤い布を振って助けを求める様子などが描かれています。
ドラクロワが倒れている人のモデルとして登場しているらしいです。
サロンに出品するものの、フランス政府はその事実を隠蔽するために、買い上げ後ルーブル美術館に納め非公開としてしまいました。
ジェリコーはそれを取り戻し、英国に渡りロンドンで公開し好評を得ました。
(# ゚Д゚)フランス政府、あかんでしょ(# ゚Д゚)
ここからまた馬が登場です
ジェリコーの代表作の一つ『エプソムの競馬』です。
ジェリコーは問題作『メデュース号の筏』をロンドンで公開する為に英国へ渡り、その際に描いたものです。
ロンドン南西に位置するエプソム競馬場で開催されたダービーステークスの情景を描いたものです。
芝生の上を疾走する4頭の競馬馬とそれにまたがる騎手を描いています。
騎手は鞭を振り上げ馬を追い込みにかかっているのでしょう。
このように前足を前方にして、後ろ足を後方に広げる走り方(フライング・ギャロップ)は実際ではありませんが、ジェリコーはスピード感を出すために敢えてこのように描いたのです。
馬のことをよく知るジェリコーが間違えるはずはないでしょう。
この絵から馬の力強い躍動感がよく伝わってきますね。
馬の肉体の美しさや力強さがよくわかりますね。
ジェリコーは躍動感のある絵ばかり描いていたのではありません。
この『馬小屋を出る馬』のように日常の何気ない場面も頻繁に描いています。
それでも、馬の脚の上げ方を見れば、馬のことをよく知る人物なのがわかりますね。
ジェリコーは馬抜きには語れません。生涯にわたって馬を愛し、その馬をたてがみから尻尾まで繊細に描写し、臀部の筋肉、足そして首の筋も正確に描いています。
特に動きのある馬を描かせたら、彼の右に出るものはいないでしょうね。
特徴
フランス・ロマン主義を代表する画家のひとりであり、ロマン主義の先駆的存在としても知られています。
過去の巨匠たちのキアロスクーロ(明暗法)などを用いた劇的な光の表現や、躍動的な動きのある表現を取り入れ、独自のスタイルを確立していきました。
歴史画は一切描かず、現実社会を見つめた人物画、事件的主題などの人の本質を描きました。
また、動物画(ほぼ馬)についての絵画を多数制作しているのが大きな特徴です。
なお画家のロマン主義的な表現は、画家ウジェーヌ・ドラクロワにも影響を与えています。
おいたち
ジェリコーは、1791年、北フランスにあるルーアンの裕福な家庭に生まれた。
1796年頃に家族とともにパリに移住。
1808年、画家カルル・ヴェルネに弟子入りした。師のヴェルネは馬や騎馬人物画の画家として当時の第一人者と言われた人物であったが、ジェリコーは師の描く馬は単なるきれいごとであり、動物としての躍動感に欠けていると感じていた。
ヴェルネの元を去ったジェリコーは、1810年から1811年に掛けて画家ピエール・ナルシス・ゲランに師事した。
ゲランはナポレオンの肖像画で有名な新古典主義の巨匠でジャック・ルイ・ダビッドの流れを汲む大家であったが、ジェリコーはこの師にも満足しません。
彼はルーブル美術館に通って、ルーベンス、ジャック・ルイ・ダビッド、ティツィアーノ、カラバッジョ、ベラスケス、ヴァン・ダイクなど過去の巨匠らの作品を模写を行い、その技法を取り入れた写実的な表現を確立した。
1816年から1817年にはイタリアに滞在し、過去の巨匠の作品に学んだが、なかでもミケランジェロのダイナミックな人物表現に影響を受けた。
1817年に帰国し、1816年におこったメデューズ号の事件を題材に制作に没頭。
1819年『メデューズ号の筏』をサロンに出品、大きな賛辞や批判を受けた。
フランス政府は事件を隠蔽するために作品を買い上げし、ルーブル美術館に隠そうとした。
ジェリコーは絵を取り戻し、1820年英国へ渡りロンドンでこの絵を発表。
1821年ロンドンで『エプソムの競馬』を描く。
フランスへ帰国後、1822年から1823年にかけて精神障害者をモデルとした人物画連作を描く。
1824年には落馬や馬車の事故などがもとで、僅か32歳で生涯を終えた。
死の間際に発した言葉は【まだ、何もしていない】だった。
まとめ
ジェリコーは古代の神話画や宗教画よりも、身の回りの現実社会のありのままを描くことに関心をおいた作品が多く残っています。
特に馬を愛しその生き生きとした躍動感のある姿を描くことが、生涯に渡り彼の主題であると感じられます。
いかがでしたかテオドール・ジェリコー。
短い生涯でしたが、濃密な人生ではなかったかと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
こんにちは。
画家の佐藤 静です。