自然環境大使の画家 ロバート・ベイツマン(ロバート・ベイトマン)

                          *ロバート・ベイツマン画集(自然からのメッセージ)を引用

Robert Batemanロバート・ベイツマン(ベイトマンとも言う)は私の最もお気に入りの画家です。

というのも、絵を描こうと思ったのがベイツマンの画集を見たことがきっかけで、私もこんな絵を描きたいと思ったのです。

美術的な西洋絵画は勿論素敵で憧れますが、彼の絵からそれまで出会ったことの無いショックを受けたのです。

美しいとか癒されるとかではなく、その絵を見た瞬間からしばらく目を離すことが出来なくなるような凄みがあり、心を打たれました。

こんにちは。
画家の佐藤 静です。

私の作品 アクリル画

彼の愛称はボブと言われているので、これからボブと呼びます。

ロバート・ベイツマン(ボブ)は野生動物画家・博物学者・地質学者で自然保護活動家です。

ロバート・ベイツマンの歩み

ボブは1930年カナダのトロントの北部の田舎町で3人兄弟の長男として生まれた。

家の裏には小川が流れ、その川はドン川の支流で大雨が降るとヒメハヤ、オタマジャクシ、イシガメが流されてきた。

近くの森には落葉樹と針葉樹が混ざり、うっそうとカエデやブナやトネリコ、マツ、ドクゼりに覆われていた。

そこで最初に夢中になったのは鳥で、そのころ彼の周りは鳥だらけだった。

ボブは11歳の頃から野鳥観察を始め、どんな生物にも興味を持ち、スケッチせずにいられなかった。
彼の作品は両親や友人を楽しませた。

1942年王立オンタリオ博物館のジュニア・フィールド・ナチュラリスト・クラブに加入。そこで、ジェームス・L・ベイリーとテレンス・ショートの指導のもとバードウォッチングや鳥類学の知識を培った。
テレンス・ショートは著名な鳥類画家で後々まで影響を受けた。

12歳頃から絵を描き始め、その後ずっと描き続けている。

1年に一度渡ってくるムシクイ類を見に家の裏の自然のままの渓谷に双眼鏡と野鳥ガイドブックを持って出かけて行った。そこに渡ってくるムシクイ類のアメリカムシクイ、シロオビキイロアメリカムシクイ、ノドグロアオアメリカムシクイ、ノドグロミドリアメリカムシクイ、キヅタアメリカムシクイなどを同定できるようになり野鳥に限りなく親しみを感じていた。

彼は鳥やカエルだけでなく植物等との絶妙なバランスが複雑な相互関係があることに魅せられていった。

当時の彼に影響を与えた書物がアーネスト・トンプソン・シートン”二人の小さな野蛮人””動物記”だった。

ある日その場所にブルドーザーが動いているのを見つけ、鳥の巣穴が埋められ、牧草地も舗装されていき、観察はずっと遠くまで行かなければならなくなった。

この「進歩」というものに直面しこれに疑問を持った。

1955年トロント大学で地理の学位を取得、オンタリオ教育大学から高校の教員免許を取得し、オンタリオ州ソーンヒルの高校で地理と、美術の教師として働いた。

この頃からボブは旅行びたりになり世界のいろんな自然を見てまわるようになった。

友人とケベック州、ニユーファンドランド州、ブリティッシュ・コロンビア州、メキシコやイギリス、フランスにも出かけて行った。

1958年にはランドローバーに乗ってアフリカ、インド、東南アジア、マレーシア、オーストラリアに出かけ不思議な自然世界を知った。

なかでも東アフリカの哺乳類に夢中になり、その後何度も東アフリカを訪れている。

1960年最初の妻、美術教師のスザンヌ・ボワーマンと結婚し、アラン、サラとジョンの3人の子どもをもうけた。

1962年アンドリュー・ワイエスの展覧会を見てその作品の影響を受けた。
ワイエスの絵は郷愁を込めて一瞬を凍結し、それを手放そうとしない永久につなぎ止められた時間なのだが、ベイツマンの作品は今にもどこかへ行こう、飛び去ろうとしていて、時の移ろいに光を当てている

代表的なアンドリュー・ワイエスの作品

1963年ー65年にナイジェリアの高校で2年間、地理と美術を教えた。

この後カナダへ戻り、バーリントンの高校で教師として働いた。その後高校で美術を20年間教えている。

1971年ハミルトンのベケット・ギャラリーでの展覧会の好評に力を得て、野生動物を描くことに専念する。

1975年ロンドン・トライオン・ギャラリーの大展示会で絵が完売。

この年、最初の結婚を解消し、アーティストで教師のビジアット・フライビーと再婚。彼女はボブのアシスタントを務めた。子どもはクリスファーとロビーをもうけた。

1980年ベケット・ギャラリーとニューヨークのスポーツマンズ・エッジ・ギャラリーでの展示会で絵が完売となり、希望者の抽選となる。

この年American Arist誌の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

1981年最初の画集「ロバート・ベイツマンの芸術」を出版

「ロバート・ベイツマンの芸術」


半端ない売れ行きを示した。中でもペンギンの絵が人気だった。
これがニューヨークタイムズブックレビューの「今年最高の生物画集」に選ばれた。

カナダ総督の委託により、「北の国からーアビの一家」を制作。カナダ国民からチャールズ皇太子殿下御成婚祝いとして贈られた。

1984年カナダ勲章オフィサーを受賞
 アメリカからも数々の賞を受賞している。

1985年新しい作品が集められた画集「ロバート・ベイツマンの世界」が発行されると急速にファンが増えた。

「ロバート・ベイツマンの世界」

世界野生生物基金(ジュネーブ)名誉勲章受章

一家でブリティッシュ・コロンビア州ソルトスプリング島フルフォード・ハーバーへ移る。

1986年スミソニアン博物館で「自然の肖像-ロバート・ベイツマンの絵画」100点以上の展覧会が開催された。

1987年ケベック州ケベックシティで自然保護総督賞受賞

1989年オランダのベルンハルト殿下の誕生祝いとして「ハイイログマ」制作

1990年3冊目となる画集「自然からのメッセージ」を出版

「ロバート・ベイツマンの自然からのメッセージ」

彼に大きな影響を与えた画家にスウェーデンのブルーノ・リリエフォッシュがいる。
ボブは「彼は私のお気に入りの芸術家であり絶対的なヒーローです」と、更に「彼は対象全体の雰囲気を嗅覚と理論の両方で捉えることが出来る」と言っている。

代表的なブルーノ・リリエフォッシュの作品

ベイツマンの絵の不当な評価

ボブの絵は最初画壇の主流派からはまともな扱いを受けていないことに心痛を受けていた。
事実主要な美術館には一枚も飾られていないし、”単なる図解を描いているに過ぎない”としばしば非難や酷評を浴びせられた。
彼は、”それなら、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」など過去の偉大な作品のいくつかも、言ってみれば図解だ。
画題を理由に門前払いするのではなく、芸術的な価値で計ってもらいたい。”
と言っている。

彼は「人間から独立した、独自の生活を営む動物を描く様に努めている」という。

また彼は、緑という色はあまり好きではないと言っている。灰色や黒や茶色のバリエーションを好み霧や砂塵や降雪など、くすんだ画面が好きだ。

ロバート・ベイツマンの地球環境への貢献

彼はコンサべーショニストでありエコロジーである。

ボブは講演でアルド―・レオポルドの「自然保護とは自然という友と手をつなぐことである。友の左手を切り落としておいて、右手を握ることはできない」という言葉を良く引用する。


私たちは消えゆく世界に住んでいる。この地球上の様々な自然と人間を抹殺しているのだと。

ベイツマンは「人生で最良のもの ー 澄んだ空気と澄んだ水と鳥の歌声 ー 」であり、もはやただでは手に入らない次の世代には金では手に入らないものになってしまうと、彼は自然の価値を人間の有益性で計られる「文明」社会の価値観を疑うようになった。

彼は市場が要請しているオリジナルプリントを作成しその経済的な成功の収益の多くが世界野生生物基金カナダのミズリー州セントルイスの狼保護を始めとしていくつかの有意義な環境保護団体に分配さてている。

野生生物保護団体その他からの基金調達のためのイベント向けに絵を寄贈してほしいという要請も多い。

彼の生活は、絵の制作の他講演などの公共活動、ボランティア活動、そして家庭生活等々である。

地球環境を救う運動は、彼の寛大さのおかげで計り知れない恩恵を受けてきた。

”パンダの絵”、”真夜中ー黒いオオカミ”、”季節の終わりーハイイログマ”、”雪の中のピューマ”などの印税100万ドルを世界野生動物基金(WWF)に寄付。
1886年にはWWFの名誉会員の称号を贈られた。

ベイツマンは野生生物画家の世界第一人者であり有名になり、彼は環境保護のために時間とお金を惜しみなくつぎ込んだ。彼の絵の複製画が広く行き渡ったためにこれまで自然遺産の素晴らしさに気付いていなかった人々も注意を呼び覚まされた。

財政的な支援以外にも多くの講演依頼を受け、そこで自然環境について彼の憂慮を語っている。
それでも彼は、人々の考え方に変化の兆しが見え、環境保護運動が盛り上がってきてハイカー、バードウォッチャー、野草観察家などの自然愛好家が増え、国立公園や自然環境保全地区が新しく制定され、大気汚染が低下していることを喜び、人と自然の調和が図られることが出来ると楽観的に考えている。

人々が自然に興味を持ち、鳥の種類を見分けられるようになると、ある種が少なくなればそれに気づくことができる。

ボブは世界の自然環境の運命に対する深い憂慮を芸術で表現している。

世界環境に関する国際会議でのカナダのモーリス・ストロングの話を好んで引用している。それは、会議中代議員が、「無力な市民に何が出来るだろう」という質問に、「簡単なことです。行動の一つ一つが、環境にとってプラスになるかマイナスになるかのどちらかしかないからです」という言葉です。

ベイツマンは言う「我々は地球を預かっているのだから、地球に対して責任がある」と、
更に「それは多少とも人類の成熟度の問題だと思う。人類が一生物種にすぎないにしてもだ。成長して文明人としての責任ある大人になれるかどうか、地球環境を含むわれわれの財産を、ちゃんと機能する状態で未来の世代に残せるように扱うかどうかの問題だ。」

”彼の深い魂は裏の谷川で初めて数々の生き物に出会って心を奪われた、    あの少年の目のままだ

ロバート・ベイツマンの作品

それでは彼の作品の幾つかをご覧ください。

「賢者」1986年
ベイツマンの描いた最大の作品で、習作としている。
群れのリーダー、つまり賢者の非常に年取った雌の顔である。
バオバブの樹皮を引きはがしたり、地面から塩土やそのほかの食物を掘り出したりした長年の活動的な生活により牙は傷み、すり減っている。

「真夜中ー黒いオオカミ」1989年
一時的に群れを離れている成熟した一匹のオオカミの、不気味な姿を表現したいと思った。
オオカミは時々自ら群れを離れては、また群れに加わる。ベイツマンはこの絵の中に重苦しい雰囲気と敬いの気持ちー脅威ではないーを醸し出したいと思った。

「ジャイアントパンダ」1986年
独特のスタイルで竹に座っているパンダを描いた。瞑想する神秘家のように、悲しげな目をしたパンダは、まるで種全体の魂がその肩にかかっているかのように、悲しげなポーズで座っている。苔むしたパンダの住処は幽玄な霧に包まれている。この絵はワシントンD.C.の動物園でシンシンとリンリンを観察した経験に基づいて描いたものだ。

「ホワイトシロハヤブサ」1981年
シロハヤブサはハヤブサ科の中で最大の種で、極北に生息している。
この絵で高貴で勝利を収めたような地位を与え、より華やかな白のハヤブサを描いた。
岩の表情は重要な役割を果たし、ハドソン湾のフォートチャーチルの近くで見た低い砂岩の崖。

「空と森の番人」1989年
私は残りの人生で、ずっとハクトウワシばかり描いてもいい。彼らの羽の抽象模様は画家のチャレンジ精神を大いに刺激するし、その猛々しい顔つきは、原始の彫り物をほうふつとさせる。現在はカナダの西海岸に住んでいるので、この偉大な猛禽が大自然の中でポーズをとってくれるのを目にすることが出来る。実際この絵の背景は私のアトリエの窓から見える風家なのだ。季節は冬で雨の多い季節で、湾内の霧が木々をぼうっと浮き上がらせている。
この絵は1990年の地球の日を記念して、全国野生生物連合の依頼によって制作した。
ハクトウワシを選んだ理由は、人間がどれだけ自然を破壊してきたか、それをどれだけ悔い改められるかを表す良い例だからだ。人間の使ったDDTの汚染でハクトウワシの体内に蓄積したDDT により生んだ卵の殻が薄く孵すことが出来なくなり、彼らの繁殖に大きな影響が出てしまった。1970年代の初めにDDTの使用が禁止されて以来、ハクトウワシの数は再び増えてきている。

「ジェンツーペンギンとクジラの骨」1979年
もともとこの場所は、南極のホートロックロイにある古い捕鯨基地だ。巨大な白くなった鯨骨を描くのが好きだった。様々な深みと影を持つ、素晴らし造家表現の練習になる。
大捕鯨時代の悲劇的で、無駄な虐殺の記念碑のようにも見える。 心を打つ特徴がある。
鯨骨を住みかとするジェンツーペンギンは、お洒落な小さな生き物というイメージとは全く異なり、震えあがって惨めなようだった。

「高地の王国―ユキヒョウ」1986年
ユキヒョウの生息圏は中央アジアのモンゴルからヒマラヤに至る広大な地域で、氷に覆われた岩山と寂しい景色が支配する土地だ。野生のユキヒョウが生息するのは人が近づくことが難しい地域のためその姿を見た人は殆どいない。
ユキヒョウは乱獲と家畜の放牧によって牧草が減少し、それを餌とするブルーシープやアイベックスやタールがいなくなっているため、せいぜい8千頭程度しか残っていない。
この作品では、この大きなネコ科動物が、山の太古の岩や雪のレースがかかる空気の一部と化したように、際限のない辛抱強さで、用心深く身じろぎもせずに座っているところを思い描いた。

「季節の終わりーハイイログマ」1986年

現在、ベイツマンの作品を見られる場所がビクトリア州のロバート・ベイツマン・センターである。
470 Belleville Street, Victoria

まとめ

彼の生活のルーチンは開会式、ギャラリー訪問、講演、自然保護活動に関する会議、慈善イベント、インタビュー、出版・編集会議そして、年に8~12点の主要な絵画を完成させることです。
家では、8時間ほどイーゼルに向かう。

こんな偉大な画家がいることを是非多くの方に知っていただきたくてここでご紹介しました。

そして、彼の望みは、全人類の全生物の望みであることを分かっていただきたいです。

今回ご紹介した内容は画集「ロバート・ベイツマン自然へのメッセージ」から引用させていただきましたが、間違った解釈などありましたらご連絡下さい。

もう少し詳しく彼のことを知りたいのでしたら、是非この画集の日本語版を手に入れて下さい。

ここまでご覧いただきありがとうございました。