日本の動物画家の有名どころ『伊藤若冲』を簡単に解説!

こんにちは。
画家の佐藤 静です。

今回は、超有名どころですね伊藤若冲!!

たくさんの鳥や花を描がいていますが、その多くの鳥は鶏ですね。

今でもそのトサカは色褪せず鮮やかです。

良い絵の具を使えたボンボンだった若冲の絵

さあ、ご覧いただきましょう。


伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)・ 1716年 – 1800年

伊藤若冲は江戸時代中期に活躍した日本画家で、特に動植物を描いた作品で知られています。

彼の作品は、日本の伝統的な絵画技法に加え、独自の創造性や奇抜な表現方法を用い「奇想の画家」とも呼ばれる独特な画面構成があり、江戸時代を代表する画家のひとりとして人気を博し、今も多くの人々に愛されています。

動植綵絵(どうしょくさいえ)

伊藤若冲の代表作は何といっても動植綵絵です。

30幅からなる日本画で、動物や植物を描いた彩色画です。

これらの作品は、京都の相国寺に寄進され、長い間寺の宝として保管されていましたが、現在は皇居三の丸尚蔵館蔵となり、国宝に指定されています。

動植綵絵

どうですかこの艶やかさ。

江戸時代に描かれたものとは思えない綺麗な状態です。

特に、孔雀、鶏、鶴、魚などが描かれた作品は有名で、非常にリアルでありながらも装飾的な美しさがあります。

何といってもお金持ちの家に生まれた若冲は高級な画材を使い思う存分に描いた作品で、今なお色褪せずに保管されています。

上の写真では小さくてわかりずらいと思いますので、一部拡大したので見てみましょう。

「群鶏図」

「群鶏図」

この色の鮮やかさや羽の緻密さは素晴らしいですね。

若冲は実際に自分の家の庭に鶏を飼ってそれを描いたそうです。

もう一つ拡大して見てみましょう。

「老松白鳳図」

「老松白鳳図」

こんな鳥は実際いなかったので狩野派の絵を参考にして描いたのでしょうか。

羽の部分が金色に見えるのは裏側からも黄土で描くなどする技法(裏彩色)を使ったようです。

さすが奇想の画家ですね。

その他の面白い作品

「虎図」

「虎図」

虎は一種流行の題材であったようでいろんな絵師さんが描いています。

日本には虎はいないのでどうやって描いたのでしょうか。

これは模写で元の絵は李公麟の「猛虎図」が原画になります。

それにしても迫力がありますね。

「百犬図」

「百犬図」

ワンちゃんたちの数すごいですね。

子犬のようですが、無邪気にじゃれ合う姿、眠そうに横たわる姿など、いろいろな表情を見せる犬の
かわいらしさ満載ではないでしょうか。

題名は百犬図ですが実際は59匹らしいですので是非数えてみてください。

昔は数が多いことを百とう数字にしていましたね。

伊藤若冲のおいたち

若冲は1716年、京都・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれました。

23歳の時父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名しました。

若冲は父親の跡を継ぎ、桝屋の家業を受け継ぎましたが全く熱心でなく、彼の本当の情熱は絵画にありました。

40歳になった1755年頃には、家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲って隠居します。

若冲は絵画に専念する生活を始めます。

はじめ彼は狩野派に習い絵を模写していましたが、狩野派のしきたりに馴染めませんでした。

その後、宋元時代の中国絵画を研究し、1000枚もの模写をしたようです。

若冲はそれに満足せず模写以外の絵の制作をしたいと思い立ち、写生に重きをおくようになり独自のスタイルを確立していきました。

伊藤若冲の作品は、動植物、特に鳥や花を中心に描かれたものが多く、その緻密さと独創的な構図、さらには大胆な色彩で知られています。

彼の作品は伝統的な日本画の技法を用いながらも、独自の視点で新たな表現に挑戦していました。

若冲の作品は、特に鳥や動物、植物を非常に緻密に描写しています。

細かい筆使いで羽毛や花弁の質感を丁寧に表現し、圧倒的なディテールの写実的な描写力は際立っています。

若冲は、鮮やかな色彩を使用することで知られており、その色使いは見る者に強い印象を与えます。

着物に使われる染料や鉱物由来の顔料を駆使して色彩豊かに描いています。

しかし、当時の青い色は植物由来の藍などを使っていて定着が悪く退色してしまいます。

若冲は現在のドイツのベルリンで発明された当時入手困難で大変高価なプルシアンブルー・通称
”ベロ藍”を使って、深みのある色合いを実現しており、「動植綵絵(どうしょくさいえ)」のような
大作では色彩の豊かさが際立っています。

若冲の特異な技法の一つに装飾性際立つモザイク風の描写技法「升目描き」と呼ばれるスタイルがあります。

これは、絵を細かい碁盤の目(升目)のように分割し、その中に薄い色を重ねてグラデーションを作り精密なパターンや色を配して描く方法です。

モザイク画のように細かい描写を可能にしています。

若冲は生涯にわたって、京都で絵を描き続けました。

70歳の時に天明の大火により自宅を焼失してしまいましたが、家業に縛られなくなって、ますますのびのびと絵を描いています。

1800年に84歳の長寿を全うするまで多くの作品を残し、最後まで絵画への情熱を持ち続けました。

若冲は、絵画の技術だけでなく、仏教的な精神にも影響を受けていたと考えられています。

彼は禅僧とも親交を深め、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常あるいは月海元照(売茶翁)から「若冲」という居士号が与えられたようです。

2006年に行われたアメリカの収集家ジョー・プライスの「プライスコレクション展」によって人気に火が付きました。

動植綵絵が公開されると伊藤若冲の人気は爆発状態となりました。

伊藤若冲は、今でも多くの画家やアーティストに影響を与え続けています。

まとめ

伊藤若冲は、日本美術史における輝ける存在で、その作品は多くの人々に感動を与え続けています。

彼の絵画は、自然や動物、特に私も大好きな鳥が好きなところが見て取れて、自然への深い敬意がよく感じられます。

いつまでも色あせない伊藤若冲の魅力を少しでも伝えることができましたら幸いです。

ここまでご覧いただきありがとうございました。